CHAKA

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2017年。てんびん座に木星が入っている年。6月初旬からは、2月からの木星逆行が終了して、いよいよ波動的に前進!GOGO!・・・・な 星読みであったはず。 が、ちーん。。。改めて、私にとっての 「GOGO!」 な状況って何だったんだろう? とふと氣づく。今までの 「記憶」 でしかないのかも?現実的には、なんか・・・・ どんどん剥ぎ落されていく感じである。具体的には、仕事の量は伸び悩む。設定した数はクリアしているが、伸びない。それは、新規開拓が必要なのだと、読むのが自然なのだろう。今までの 「記憶」 の中で生きるには、もう限界だということらしい。以前、様々な治療家の元へ その施術を体験に出向いていた時期があった。ただのお客さんとして、ほとんど施術を受けていた。体験していた。何回か足を運んだ方のひとりが、都内で三井温熱療法を提供していたMさん。彼女は、自身がこの療法で重い膠原病を克服した経緯があることで、彼女の中での信頼度はそのまま施術に反映されていた。私は、彼女の施術そのものよりも、その療法、そして自分への信頼度の高さに感銘を受けて、何人もの大切な人を紹介した。クライアントからカラダを預けて頂くということを、彼女からかなり影響を受けていることを改めて思う。そう、今 私は悶々としているのだ。クライアントのカラダに、そしてエネルギーに向き合えば、自ずと全体を整える方向を瞬時に設定してしまう自分がいるのだ。そんなことまで、クライアントは求めていないことに氣づきはじめている。ただ、今の不調や痛みを取り除きたいだけだと 認めた方が 楽なのだ。現実的なストレスを、本当は解決しようなんて思ってはいないのだ。もっと、ビジネスライクにかるーく 仕事をしてよいのでは? と。先日、こんなことがあり、益々 落ちた (+o+)もう70代の女性なのだが、不定期に予約を入れて頂いて利用されている。人間的に良い人だと思うのだけど・・・ なんとなく、私はどこかで苦手なのだった。でも、施術に私情は入らない。彼女は、たぶん いろいろなところに行っている。整形外科、整骨院、あんま・・・・と。結局、どこに行っても塩梅が良くないものだから、私のところに来てると言った感じ。それは、それで 全然OKなのだけど・・・困ったことがあった。 それは、二度目の予約をされること。 それは、常連さんは当たり前になってはいるのだけど・・・・ 彼女の場合は、その二度目の予約はほぼキャンセルか、予約変更となる。おまけに、予約変更にした日も、ほぼキャンセルとなっていた。実は、こういうケースは 良くあるのかもしれないが、ここ3年は、私のクライアントにはいなくなっていたので、彼女一人だけであった。今回も、ゆるゆるストレッチのワーク依頼を受けた日が、彼女の二度目の予約がひっかかっていた。私としては、ワークを充実していきたいこともあり、せっかくの依頼に・・彼女の予約をこちらから変更して頂こうかとも考えた。しかし、予約はされる側も時間を拘束されるが、する側も 同じだと考えた上、それはできないと判断して、依頼を断った。そしたら・・・前日の夜に、彼女から予約の変更依頼の電話が来た!案の定? 行けなくなったので、変更してくださいと言う。さて、どうする?  もう、予約は入れたくない。キャンセルには応じますが、変更日は またこちらから連絡するということでよろしいですか? というご提案にした。本心は、もうこのお客様には来て頂かなくても良いと思っていました。その上で、ご予約システムと、こちらのスタンスを、改めて説明させて頂きました。私はお金を頂いて、サービスを提供する側ですが、だから お客さんはキャンセルをしても良いという感覚であるなら、勘弁して頂きたいと。こうして、お客様を失っていくかなぁ???と 思うと、自分自身のスタンスが傲慢なのかな? という罪悪感と自己不審に陥ってしまった。数日間、かなり悶々としていられたのも、なぜか、今週はお客様が少ないのだ。。。。 チーン!本日も、午前中は無し。しかし、こうして書いていて ようやく なんだか軽くなってきた予感^^自分がコントロールできることは、自分だけである! ということだ。お客様を治すとか、変えるとか・・・・ 畏れ多いことに違いない。出来ることはできるが、できないことの方が多いことを認めようと思う。おのころさんの言うとおり、セラピストという生きものである。それは、間違いないと思う。しかし、まぎれもなく 人間なのだ。人間らしく、誠心誠意(あくまでも自分に対して)であれば、大丈夫。

クライアントさんと友達

学びに没頭していた時期は、ほぼ周りは見えていなかったのだろう。「ひとり」の時の方が、圧倒的に多い日々を送っていた気がする。クライアントさんは仕事であり、当時の方がクライアントさんが自分にとって、純粋なクライアントさんであった。学びを共にする仲間、共感する人は地元ではなく、ほぼ東京に集中していた。自分が居た、「ここ」は言ってみれば、仕事場そのものであったのかもしれない。いつの頃からだろうか・・・・?3年、5年とクライアントさんとの年月が重なってくると、親しみを感じたり、楽しさを見出した数人とお友達のような触れ合いが始まる。そして、ここ3年ほどは スポーツのクラブも立ち上げて、そちらの仲間も増える。おまけに今年はテニスに復帰してみたことで、新たな仲間意識を持つ場所もできる。これが、普通の人間関係なのかもしれない。と思いつつ、いつのまにか私の立ち位置に違和感を感じていた。そう・・・・ クライアントとセラピストという関係性の中の隔たり。クライアントでは無いけど、狭い田舎社会を警戒するのか、四六時中セラピストという上着?が脱げない感覚に気づく。親しさが増してきたクライアントさんは、二種類の大きく分けられる。あくまでも、ビジネスとしての気持ちの良い関係性を維持させて頂いている方。何でも ???? を日常的にぶつけてきたり、相談してきたりする方。クライアントさんとお友達関係というのは、もしかしたら難しいのかもしれませんね。セッション、問題の明確化、スタンスの明確化・・・をお仕事として提供している立場上、仕事としての対応と、私という人間としての対応は違うことを理解頂かないと複雑になる。なぜか?それは、お金を頂くということで、セラピストに私情が全く入らない状態を作ることができるということと、クライアントさんも、お金を払うということで、スタンスのポイント、ベクトルの方向性が定まるのだと思われる。今年の秋、自分自身のセラピストを探そうと、心を決めてみた。実際に数件、かかってみた。二度目の腰が上がらないのは、どうしたものか?それは、会話をする中、ボディーケアを受ける中、セッションを受ける中・・・・・圧倒的に、自分の方が広く、深く学びと体験した量が多い事に気づくことになってしまった。11月のはじめに、言霊ヒーリングのあっきーさんに初めてお会いしてみた。自分を自分でセラピーする。結局、ここに収まってしまった・・・ (+o+)本当はね、弱音を安心して吐ける 場所が欲しいのだ。それが、本当の友達なんじゃない? ですよね。

セラピストになる

癒せると癒される、セラピストという生きもの。今の時代、セラピストを目指す人が とても多くなったのを感じています。最初に、私が今の私に成るための転換期のお話をしてみます。昔、昔・・・・ インフォシークというSNSがあったのを知っている方も多いだろう。あの頃、かなり活発なネット上交流が行われていた記憶がある。いろいろあったけど、その中で鮮明に覚えている会話があるのだ。まだ、楽天モールにショップを出店して目まぐるしい日常を送っていた頃の話。今から10年以上前のことになる。(おー、そんなに経ってる!)当時の私は、明らかに今の私と波動が違うはず。なのだが、どちらも私に違いなく、その境界線も実は無いのかもしれない。おっと、ずれていくので、本題を。その人は、都内に住む男性で、私より4歳くらい年下の方だった。神経質そうな内面をネット上で晒していて、たぶん 他の人は腫物を触るようなコメントを残していた。私は、その方の波動を感じられていたのだろう。実に巧みなコメントを音楽を奏でるように残していた。すべてを思い出せるわけでは無いのだが、微妙に波動のコラボがぴったりな存在であったようだ。それを彼も感じていたのだろう。波動のコラボで惹かれあって行った。将来の夢を語り合った。彼は蓼科に別荘を持っていて、そこでお菓子を焼いて出す小さな喫茶店のマスターになりたいと。私は、「では、私は白樺湖あたりで セラピストのお仕事でも」 と。当時、そんなことは考えている訳も無いのだが、言ってみて なんて叶いそうもない夢なんだろうと思っていた。。。。が、実は ずっとその言葉は存在感を無くすこと無くあったのだ。まもなく、順調で右上がりなショップになぜか辟易とし、カラダも悲鳴を上げていた2006年4月に楽天を卒業して、赴くままにその後を選択し始めた。1996年に生死体験をしていた私にとっては、そんなに大きな決心でもなかったけど、取扱いメーカー、また母体会社の社長である主人にとっては、かなりな痛手であったらしいが・・・継続という選択肢は無かった。まずは、6年間に疲弊したカラダをケアすることから始めた。カラダのケアを始めてみると、そこに根付いている「意識」があることに気づいて、多くの内面の旅に入ることとなった。その旅は、かなりきつく、自分を丸ごと、それどころか自分のものとも誰のものともわからない意識に突き上げられる感情をもてあました。出会う人も、出会うモノも、深く深く私を案内して行った。実に、2006年は私の大きな分岐点であった。当たり前のように、セラピストの道を歩み出していたのだと、今は理解できる。なぜか解らないうちに、三井温熱療法を学んでいた。ひたすら東京に通い、求めるままに学びはじめた。多くの人との出会いがあり、ざっくり、ざっくりと耕されていくのを感じていた。2007年3月、会社の建物を改装するのを機に、セラピールームを作ってもらう。当時、10年続くと思っていただろうか? そんな感覚自体がまったく無かったと記憶している。あれから、9年半。わたしは、セラピストという生き方を実感している。いつから、セラピストを生きるようになったのだろうか。実に、バラエティーに富んだ9年間であった。そして、これからは それらを駆使して、もっとバラエティーに富んだセラピストという人生を生きて行くのだと思うのだ。