セラピストになる

癒せると癒される、セラピストという生きもの。

今の時代、セラピストを目指す人が とても多くなったのを感じています。

最初に、私が今の私に成るための転換期のお話をしてみます。


昔、昔・・・・ インフォシークというSNSがあったのを知っている方も多いだろう。

あの頃、かなり活発なネット上交流が行われていた記憶がある。

いろいろあったけど、その中で鮮明に覚えている会話があるのだ。


まだ、楽天モールにショップを出店して目まぐるしい日常を送っていた頃の話。今から10年以上前のことになる。(おー、そんなに経ってる!)


当時の私は、明らかに今の私と波動が違うはず。なのだが、どちらも私に違いなく、その境界線も実は無いのかもしれない。


おっと、ずれていくので、本題を。


その人は、都内に住む男性で、私より4歳くらい年下の方だった。

神経質そうな内面をネット上で晒していて、たぶん 他の人は腫物を触るようなコメントを残していた。

私は、その方の波動を感じられていたのだろう。実に巧みなコメントを音楽を奏でるように残していた。すべてを思い出せるわけでは無いのだが、微妙に波動のコラボがぴったりな存在であったようだ。それを彼も感じていたのだろう。

波動のコラボで惹かれあって行った。


将来の夢を語り合った。


彼は蓼科に別荘を持っていて、そこでお菓子を焼いて出す小さな喫茶店のマスターになりたいと。

私は、「では、私は白樺湖あたりで セラピストのお仕事でも」 と。


当時、そんなことは考えている訳も無いのだが、言ってみて なんて叶いそうもない夢なんだろうと思っていた。。。。が、実は ずっとその言葉は存在感を無くすこと無くあったのだ。


まもなく、順調で右上がりなショップになぜか辟易とし、カラダも悲鳴を上げていた2006年4月に楽天を卒業して、赴くままにその後を選択し始めた。1996年に生死体験をしていた私にとっては、そんなに大きな決心でもなかったけど、取扱いメーカー、また母体会社の社長である主人にとっては、かなりな痛手であったらしいが・・・継続という選択肢は無かった。

まずは、6年間に疲弊したカラダをケアすることから始めた。

カラダのケアを始めてみると、そこに根付いている「意識」があることに気づいて、多くの内面の旅に入ることとなった。

その旅は、かなりきつく、自分を丸ごと、それどころか自分のものとも誰のものともわからない意識に突き上げられる感情をもてあました。


出会う人も、出会うモノも、深く深く私を案内して行った。


実に、2006年は私の大きな分岐点であった。

当たり前のように、セラピストの道を歩み出していたのだと、今は理解できる。


なぜか解らないうちに、三井温熱療法を学んでいた。ひたすら東京に通い、求めるままに学びはじめた。多くの人との出会いがあり、ざっくり、ざっくりと耕されていくのを感じていた。


2007年3月、会社の建物を改装するのを機に、セラピールームを作ってもらう。

当時、10年続くと思っていただろうか? そんな感覚自体がまったく無かったと記憶している。


あれから、9年半。


わたしは、セラピストという生き方を実感している。

いつから、セラピストを生きるようになったのだろうか。


実に、バラエティーに富んだ9年間であった。


そして、これからは それらを駆使して、もっとバラエティーに富んだセラピストという人生を生きて行くのだと思うのだ。



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