クライアントさんと友達
学びに没頭していた時期は、ほぼ周りは見えていなかったのだろう。
「ひとり」の時の方が、圧倒的に多い日々を送っていた気がする。クライアントさんは仕事であり、当時の方がクライアントさんが自分にとって、純粋なクライアントさんであった。
学びを共にする仲間、共感する人は地元ではなく、ほぼ東京に集中していた。
自分が居た、「ここ」は言ってみれば、仕事場そのものであったのかもしれない。
いつの頃からだろうか・・・・?
3年、5年とクライアントさんとの年月が重なってくると、親しみを感じたり、楽しさを見出した数人とお友達のような触れ合いが始まる。
そして、ここ3年ほどは スポーツのクラブも立ち上げて、そちらの仲間も増える。おまけに今年はテニスに復帰してみたことで、新たな仲間意識を持つ場所もできる。
これが、普通の人間関係なのかもしれない。と思いつつ、いつのまにか私の立ち位置に違和感を感じていた。
そう・・・・ クライアントとセラピストという関係性の中の隔たり。
クライアントでは無いけど、狭い田舎社会を警戒するのか、四六時中セラピストという上着?が脱げない感覚に気づく。
親しさが増してきたクライアントさんは、二種類の大きく分けられる。
あくまでも、ビジネスとしての気持ちの良い関係性を維持させて頂いている方。
何でも ???? を日常的にぶつけてきたり、相談してきたりする方。
クライアントさんとお友達関係というのは、もしかしたら難しいのかもしれませんね。
セッション、問題の明確化、スタンスの明確化・・・をお仕事として提供している立場上、仕事としての対応と、私という人間としての対応は違うことを理解頂かないと複雑になる。
なぜか?
それは、お金を頂くということで、セラピストに私情が全く入らない状態を作ることができるということと、クライアントさんも、お金を払うということで、スタンスのポイント、ベクトルの方向性が定まるのだと思われる。
今年の秋、自分自身のセラピストを探そうと、心を決めてみた。
実際に数件、かかってみた。二度目の腰が上がらないのは、どうしたものか?
それは、会話をする中、ボディーケアを受ける中、セッションを受ける中・・・・・
圧倒的に、自分の方が広く、深く学びと体験した量が多い事に気づくことになってしまった。
11月のはじめに、言霊ヒーリングのあっきーさんに初めてお会いしてみた。
自分を自分でセラピーする。結局、ここに収まってしまった・・・ (+o+)
本当はね、弱音を安心して吐ける 場所が欲しいのだ。
それが、本当の友達なんじゃない? ですよね。
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